922degrees

感情に訴えかける「伝え方」を、多様な視点から追究するページ

指導者のあるべき姿勢

こんにちは。

今日は、「指導者」について書きます。

 

 

 

 

指導者をやっていると、

「指導者の人生の一部としての選手」

という考えになりがちなのかもしれない。

 

私自身、実際ちょっと思ってしまう時もある。

 

しかし、何より大事なのは

「選手の人生の一部としての指導者」という姿勢

だなって、本当に思う。

 

あくまで「主役は選手」ってことはいつ何時でも忘れてはいけないこと。

 

 

 

 

 

本日、「指導者の仕事は何か」という議題を考えた。

 

この議題において、本当にあるべき姿勢は、

 

「指導者の仕事は?」ではなく、


「指導者に求められる仕事は?」という視点を持つこと

であると考えた。

 

もちろん指導者が確固とした考えや芯、軸を持つことは必

要だし大前提ではある。

 

しかし、間違っても指導者のエゴを出してはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

指導者は、

その名の通り、何か(だれか)を指導する存在だ。

 

そのためには、当然だが「何か(だれか)」の存在が大前提としてある。

 

 

これは、絶対に忘れてはいけない重要な真理であると考えた。

議論を嫌う学校

教育実習に行った際、私は指導教員と授業づくりについて議論しました。

 

私には私の考えがあったし、私は指導教員の言うことに納得できなかったのだから当然です。

 

 

しかし、その議論を聞いていた他の先生たちから卑下され、変なモノ扱いされました。

 

大学の事後指導では、大学教授はこう言いました。

「教育実習生なんて議論する立場にないんだ。お荷物なんだから。勉強させてもらってるんだから。」

 

なんか、どうなんでしょう。

 

そりゃあ、教育実習生がお荷物であることは理解できます。

でも、それは教師誰もが経験してきたことです。

それに、教育実習生だって、大学や個々で学んで、自分なりの考えも持っているはずです。

それを教育実習で試し、実際に働く現場の先生たちと議論することって何かおかしいことですかね。

 

 

話は変わりますが、欧米では「自分の意見を持たないことが一番ダメ」と言われていると聞きます。

 

日本では違います。受け入れられません。

 

「文化の差異」と言われればおしまいかもしれませんが、どうしても納得できませんでした。

 

 

 

 

う~ん...言いたいことがイマイチまとまりませんが、、、

 

 

 

「議論」って大事だと思うんですよね~

もちろん議論の「仕方」はありますが...

 

 

感情を物理的にコントロールする

こんにちは。

 

 

先日、友人が急死し、悲しみに暮れました。

 

また、私自身周りのことや自分のやっていることに自信が持てなくなってきてしまい、自己肯定感が急激に下がってきています。

 

 

今、メンタルが明らかに不安定であります。

 

 

 

しかし、そんなときに「目線を上げて背筋を伸ばし、姿勢を正して口角を上げる」ことを意識すると、自然と気持ちが前向きになりました。

 

 

 

物理的に感情をコントロールすることは可能であるのだと実感することができました。

 

 

 

誰にでもしんどい時や辛い時期、何もかも投げ出したくなる時期ってあると思います。

 

そんな時こそ、背筋を伸ばして視線を上げてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

「教師」「教育」って何なんだ

こんにちは。クニです。

 

 

私は、先日3週間の教育実習を終えました。

高校の保健体育を担当したのですが、楽しさややりがいを感じれたと共に、学校現場の事情や現実、そしてサッカークラブの指導者とのギャップを感じました。

 

 

率直に感じたことは、学校の教師は「スピーカー」なのだということです。

 

文部科学省の学習指導要領を生徒に植え込むためのスピーカー、つまり媒体物でしかないのだと思いました。

 

 

 

どこかの誰かが言っていました。

教育とは、「教えて育てる」のではなく、「教えて育つ」ものなのだと。

 

どこかの誰かも言っていました。

教育には、「正解」はないけど、「間違い」はあると。

 

 

学校教育は、「教えて育てる」です。

 

学校教育は、「正解」があります。

そして、「間違い」の範囲が以上に広い。

 

 

 

教育基本法の第一条は以下です

「教育は、人格の形成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資
質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」

 

 

「人格の形成」とは、どのような人格なのでしょうか

「形成者として必要な資質」とは、何なのでしょうか

 

 

漠然としているが、正しい「人間像」があるといわんばかりの条文には、いささか不信感を抱いてしまいます。

 

それを実習を経てものすごく感じてしまいました。

 

 

 

 

 

正直、思うことや感じたこと、疑問点や批判点がありすぎてまとまっていないのが事実ですが、少しずつ考えをまとめて発信していけたらと思っております。

 

 

 

 

 

 

「教育」ってなんなのか

「教育」の今後の課題は

「教育」の今後の在り方とは

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

カラオケ

こんにちは。クニです。

 

今日は、「カラオケ」について書こうと思ってます。

 

なぜ突然カラオケについてかといいますと、単純に私が大のカラオケ好きで、今日行ってきたからです(笑)

 

 

カラオケは、歌を歌うだけでなく、その人の様々な面が見えてきます。

 

好きな歌、好きなジャンル、歌声、歌のうまさ、歌い方、マイクの持ち方、好きな飲み物、気遣い、、、

その人の本当の性格、内面が出やすい場所ですよね。

 

 

そして、「感情」を表現する場でもある。

 

そもそもカラオケに行くときはどんな時であろうか。友達や異性と楽しく遊んでいるとき、飲んで気持ちよくなった後、ストレスが溜まって発散したいとき、、、

もちろん、単純に歌うという行為が好きな人もいます。(私はこれです(笑))

 

この中にはすべて「感情」が含まれています。

感情を表現する場であるのです。

 

 

 

 

 

私は、サッカーの場をカラオケのような場所にしたいと思っております。

 

その人の内面が表れ、感情を表現する場。

この「場づくり」こそが指導者の役目なのではと感じています。

 

 

 

「感情」とは何か

「感情」は人にどんな影響をどのくらい与えるのか

「感情」を表現してこそ人は幸せになれるのではないか

 

 

 

思いのままカラオケで自分の好きな歌を歌い、好きな歌を歌う中で本当の自分が自然と表現されていく。

 

選手が感情を表現することはもちろんだが、そのために一番大切なことは、指導者が感情をあらわにしながら感情に訴えかける。

 

選手と指導者の感情が表現されていく。

 

 

そうした上で、サッカーをする本当の喜びが感じられるのではないかと思っております。

 

 

 

 

 

 

本日、カラオケに行ってきて、そんなことをボヤ~っと考えました。

 

 
 
 
 
 
Thank you for reading my article! 

サッカー スポーツ人類学 言語 ~初めまして~

初めまして。

 

私、「922degrees」と申します。言いにくいと思うので、

「クニ」と呼んでいただけたら嬉しいです。

 

私は、都内で暮らす、大学3年生です。

大学では主に教育を学んでおり、「スポーツ人類学」を専門としています。

正直、私自身「スポーツ人類学」が何であるのか、未だに理解していない状態ですが...

 

 

そして、都内のジュニアサッカークラブのコーチをしており、日々「指導」について学んでおります。子供たちと共に、私自身も一緒に成長していると感じられることに、大きなやりがいと深い喜びを感じております。

 

 

 「サッカーの指導者」

 

21歳である私が未来の自分を想像したとき、この言葉がどうしても浮かんできます。

 

タイトルになっているように、私はサッカーが大好きです。10歳から19歳まで現役としてやっていましたが、コーチを始めた1年前からサッカーが何倍も好きになりました。

 

やはり「人に教える」ためには、自分だけの感覚だけでは通用しません。もちろん感覚は必要になりますが、何より大切なことはその感覚を自分の中で具現化し、言語化することなんだと、日々強く感じています。

 

そして、「人に伝える」ときには内容だけが優れていてもいけません。

 

「コミュニケーションの8割は非言語」と言われるように、しゃべるトーン、大きさ、リズム、身振り手振り、視線、まなざし... など、単純な言葉や内容以外の点が非常に重要であります。

そして、それは「日本人・日本語・日本文化」なのか、「他国人・他言語・他文化」であるのかによって、全く違ってくると思っています。

 

例えば、英語では「Hello」という時、発音上自然とアクセントが付きます。言語上それがノーマルであるからです。

一方、日本語では「おはよう」は一定のトーンの発音です。アクセントがほとんどありません。

 

つまらない人の話し方の特徴として、常に一定のトーンで話すことがあります。ずっと同じリズムでは話は退屈に感じ、感情も上乗せできません。聞いてる方はすぐに飽きてしまいます。

 

私は、日本語は言語上「つまらない話し方」生みやすい言語であると思っております。感情を上乗せし辛く、言いたいことを伝えにくい言語なのではないかと考えます。

 

私が「スポーツ人類学」を専門に学んでいることも、ここに理由があります。

他国、他文化、他言語では、伝える際の「伝え方」が、根本から日本のそれとは違うのではと感じています。

 

 

伝えるためには何が必要か。話の内容はもちろんだが、「伝え方」が一番大切であり、伝えるためには聞き手の耳に入りやすい話し方が重要になる。

 

 

 

ずらずらと長く書いてしまいましたが、私は以上に書いたことを研究しております。

「伝え方」や「話し方」は、私の研究のテーマになっております。

 

 

今後、気が向いたらではありますが、少しずつ思いや考え、感情を投稿していこうと思っております。

 

はじめてのブログで、非常に拙い文章ではありますが、どうぞよろしくお願い致します。

定期的に文章を推敲し、編集を加えていくかもしれません...(笑)

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。